SEAT RECORDS の魅力
SEAT RECORDS とは日本流に言うなら「ソノシート」です。型に樹脂を流し込んで作る通常のレコードと異なり、柔らかいビニール素材に音溝の付いた金型を押し付けて作るため、安価に制作できるうえ軽く曲がりにも強いことから、雑誌の付録やメッセージカード等に利用されました。なお、「ソノシート」は後に朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)の商標となったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合もあります。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたりしましたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっています。
昭和30年代〜50年代まで「ソノシート」には夢が詰まっていました。RICMANIA.COMではソノシートを1種の「文化遺産」として捉え、ジャンルや用途を区切らずに収集しデジタル動画(音源)として残すことで、時代の生き証人として後世まで語り継ごうと考えています。もし、ソノシートの廃棄を検討されている方がいらっしゃいましたら、どんなジャンル・状態のものでも当方で引き取り、整理・再生・収録して可能なものは公開しますので是非お譲りください。
X(旧Twitter)でも紹介を始めました。内容はこのサイトからの転用です。→https://twitter.com/i/communities/1721775739387973881
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今日のソノシート
【1210】ベイ・シティ・ローラーズ タータン・インタビュー①
題名:ベイ・シティ・ローラーズ タータン・インタビュー①
収録:1976年6月26日 アメリカ・アトランティック・シティー
インタビュアー:山本沙由理(チャッピー)
協力:アリスタ・レコード
発行:東芝EMI株式会社
備考:非売品
※ベイ・シティ・ローラーズ(英語: Bay City Rollers)は、イギリス・スコットランドのエディンバラ出身のポップ・ロック・バンド。1970年代半ばから若い女性を中心に人気になったアイドル・グループである。
※1974年にレスリー・マッコーエン(リード・ボーカル)、エリック・フォークナー(リード・ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(サイド・ギター後にベース)、アラン・ロングミュアー(ベース)、デレク・ロングミュアー(ドラム)による5人編成になってから、「バイ・バイ・ベイビー」(1975年)、「サタデー・ナイト」(1976年)などのヒット曲を生み出し、本国イギリスを皮切りに、その後アメリカや日本など、世界中で人気を博し、ローラーマニアと呼ばれる熱狂的なファンを生み出した。大人気の中、年長者であるアラン・ロングミュアーが脱退した。その後、イアン・ミッチェル(ギター)が新たに参加するが、同じ年にミッチェルは脱退し、パット・マッグリン(ギター)が参加した。このソノシートはイアン在籍時である。
※山本 さゆり(やまもと・さゆり、1953年7月3日 - )は日本のラジオDJ、音楽評論家。アイドルのベイ・シティ・ローラーズの大ファンとしても知られる。「アメリカントップ40」の番組を聴いて感銘を受け、当時日本版のディスクジョッキーをしていた音楽評論家の湯川れい子に投書をしたことをきっかけに師事し、同番組アシスタントとなった。この頃から「チャッピー」のあだ名で知られるようになる。
【1209】東芝フォノブック 坂本九「九ちゃんの花咲く街角」②
題名:東芝フォノブック 坂本九「九ちゃんの花咲く街角」②
収録:1.九ちゃん音頭(作詞:青島幸男、作曲:ダニー飯田)
2.上を向いて歩こう(作詞:永六輔、作曲:中村八大)
発行:東芝音楽工業株式会社
定価:250円
備考:1962年
※坂本 九(さかもと きゅう、出生名:さかもと ひさし、本名:大島 九(おおしま ひさし)、1941年(昭和16年)12月10日 - 1985年(昭和60年)8月12日)は、日本の歌手・俳優・タレント・司会者。「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」等数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など多岐に渡り活動していた。
※青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の作家、作詞家、タレント、司会者、俳優、放送作家、映画監督、政治家。テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。タレント政治家としても高い人気を誇り、参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)などを歴任した。
※ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年7月5日)は、昭和時代中期から平成時代初期に活動したバンド・ダニー飯田とパラダイス・キングのリーダー。本名:飯田 紘久(いいだ ひろひさ)。埼玉県出身。
※永 六輔(えい ろくすけ、本名:永 孝雄(えい たかお)、1933年(昭和8年)4月10日 - 2016年(平成28年)7月7日)は、日本の放送作家、作詞家。テレビやラジオなどを中心に活躍。軽妙な語り口と歯に衣着せぬトークで人気を集めた。20代前半から、ラジオ・テレビ番組の企画・演出や、ピアニストで作曲家の中村八大らと組んでの歌曲作詞、また軽妙な語り口を生かしたタレントとしての活動など、マルチプレイヤーとして活動を続けてきた。
※中村 八大(なかむら はちだい、1931年(昭和6年)1月20日 - 1992年(平成4年)6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。 「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」「明日があるさ」など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。
【1208】東芝フォノブック 坂本九「九ちゃんの花咲く街角」①
題名:東芝フォノブック 坂本九「九ちゃんの花咲く街角」①
収録:1.戦場に日は落ちて(作詞:渡舟人、作曲:R・ペニマン)
2.花咲く街角(作詞:漣健児、作曲:D・シャノン)
発行:東芝音楽工業株式会社
定価:250円
備考:1962年
※坂本 九(さかもと きゅう、出生名:さかもと ひさし、本名:大島 九(おおしま ひさし)、1941年(昭和16年)12月10日 - 1985年(昭和60年)8月12日)は、日本の歌手・俳優・タレント・司会者。「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」等数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など多岐に渡り活動していた。
※「渡舟人(わたるふなんど)」は、日本訳詞家協会3代目会長を務めた柴崎宗佐(1916年1月2日生-2010年12月19日没)のペンネーム。GHQ通訳も務めた。東芝レコード文芸顧問。
※漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005年6月6日)は、日本の作詞家、訳詞家。本名:草野 昌一(くさの しょういち)。本名名義で編集者、実業家として活動し「ミュージック・ライフ」編集長、シンコーミュージック・エンタテイメント会長を務めた。
【1207】加山雄三ヒット曲「君といつまでも/ハワイで踊ろう」
題名:片倉ハドソン株式会社「加山雄三ヒット曲」
収録:1.君といつまでも(作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作)
2.ハワイで踊ろう(作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作)
備考:販促品、1966年発行
発行:片倉ハドソン株式会社
※加山 雄三(かやま ゆうぞう、本名:池端 直亮(いけはた なおあき)、1937年〈昭和12年〉4月11日- )は、日本の歌手・俳優。職業はタレント業のほか、音楽家としてはギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者として、このほか画家としても活動している。勲等は旭日小綬章。ニックネームは若大将。作曲家として弾 厚作(だん こうさく/ドン・コサック)のペンネームを用いる。東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の「若大将シリーズ」が大ヒット。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。母方の先祖に岩倉具視、父は名優の上原謙、縁戚に竹下登、北川景子、黒木瞳、岸恵子、オノ・ヨーコ、喜多嶋修など多数。
※岩谷 時子(いわたに ときこ、1916年(大正5年)3月28日 - 2013年(平成25年)10月25日)は、日本の作詞家、詩人、翻訳家。歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られ、越路が歌うシャンソンの訳詞を手がけたのをきっかけとして作詞家・訳詞家としても活動。ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」岸洋子「夜明けのうた」弘田三枝子、中尾ミエ「夢見るシャンソン人形」沢たまき「ベッドで煙草を吸わないで」園まり「逢いたくて逢いたくて」加山雄三「君といつまでも」佐良直美「いいじゃないの幸せならば」ピンキーとキラーズ「恋の季節」など数多くのヒット曲を生み出してきた。
※片倉工業株式会社(かたくらこうぎょう、英語: Katakura Industries Co., Ltd.)は、東京都中央区に本社を置くショッピングセンター等の不動産運営・賃貸、自動車部品等の機械製造販売、繊維製品の製造販売を行う企業である。1954年(昭和29年)5月 - 片倉ハドソン靴下株式会社を設立(1968年(昭和43年)1月に合併)。衣料品事業に進出。
【1206】女学生の友9月号付録「テルテルのディスクジョッキー」
題名:女学生の友9月号付録「テルテルのディスクジョッキー」
出演:西郷輝彦、ジョニー・ティロットソン、ボブ・ダグラス
協力:クラウンレコード
制作:小学館
備考:昭和41年9月号の特別付録、本欠品
※「女学生の友」(じょがくせいのとも)は、かつて存在した日本の少女向けの月刊雑誌である。小学館が編集・発行した。1950年4月号から、1975年に「JOTOMO」と改称されつつ1977年12月最終号まで刊行された。
※西郷 輝彦(さいごう てるひこ、1947年2月5日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。本名、今川 盛揮。橋幸夫・舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれた。964年2月、クラウンレコードより「君だけを」でデビュー。同曲は60万枚を売り上げた。「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー。ビート歌謡曲歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代を代表する青春スターであった。
※ジョニー・ティロットソン(Johnny Tillotson、1938年4月20日 - )は、アメリカ合衆国の男性歌手である。「涙ながらに」「ポエトリー」「キューティ・パイ」などの楽曲で知られる。また、浜口庫之助作詞・作曲の「涙くんさよなら」(Goodbye Mr. Tears)を英語と日本語でカバーした。
※ボブ・マグラス(Bob McGrath, 1932年6月13日 - 2022年12月4日)は、アメリカ合衆国イリノイ州生まれの歌手、俳優。1969年から放送されている「セサミストリート」の"ボブ"としても知られている。セサミストリート時代以前には、日本で日本語歌手をしていたほか、ミッチ・ミラー合唱団でテナーのソリストを長年務めていた。
【1205】ウィスパーカード 浅田美代子 その3 おしゃべりゲーム
題名:声の出るウィスパー・カード 浅田美代子 その3 おしゃべりゲーム
企画制作:文化放送、JCM
番号:GAA 1016
製造:キュープロモーション
販売:プラチナ万年筆
備考:当時200円
※以下Can Wikiより 憧れのアイドルがあなただけの耳に囁きかける!“声の出るウィスパー・カード”というコピーで、アイドルの歌でなくトークを収めたシートレコードが男女問わず70年代初期のアイドル中心に数多くのウィスパー・カードが製作され、主に文具店で販売されていた。ブロマイドと言えば、マルベル堂が一手に販売しており好調な売れ行きを示していた。それに便乗してか、対抗してか、「声の出る」ブロマイドをコンセプトとして1970年初期から文化放送が企画制作、キュープロモーション及び万年筆のプラチナが製作販売するウィスパー・カード・シリーズを企画していた。しかし「ブロマイド」はマルベル堂の登録商標であるため「声の出るブロマイド」というコピーにすることができず、やむなく「声の出るウィスパー・カード」と相成った訳である。当時ブロマイドはレコード店、文具店、ブロマイド店で販売されており、最初はキュープロモーションが独自ルートで文具店に卸していたが、文具店の流通経路を有効活用するためにプラチナでの製作販売に切り替えた。70年代初期のアイドル中心ということで、麻丘めぐみ、天地真理、アグネスチャン、桜田淳子、山口百恵、森昌子、浅田美代子、西城秀樹、村野武範、大石五郎、伊丹幸雄、石橋正次等のラインナップがあり、珍しいところでは、当時の野球少年のアイドル長嶋茂雄のウィスパー・カードも発売されていた。
※浅田 美代子(あさだ みよこ、本名同じ、1956年〈昭和31年〉2月15日 - ) は、日本の女優・タレント・元アイドル歌手である。1973年(昭和48年)2月14日、「時間ですよ」のお手伝い役でデビュー、キャッチフレーズは「ソニー・エンジェル」劇中歌でデビュー曲の「赤い風船」(現代の童謡をコンセプトに作られた楽曲と伝えられる)は、1年で50万枚近くを売り上げオリコンの年間セールス10位の大ヒット。その後も「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ・昭和元年」などの人気ドラマに出演すると共に、映画出演や歌もヒットする。バラエティー番組の常連としても活躍しており「さんまのSUPERからくりTV」で見せた強烈な天然キャラで人気となった。
【1204】ウィスパーカード フィンガー5
題名:声の出るウィスパーカード「フィンガー5」
企画制作:文化放送、JCM
番号:Q-117
製造:キュープロモーション
販売:プラチナ萬年筆
備考:当時300円
※以下Can Wikiより 憧れのアイドルがあなただけの耳に囁きかける!“声の出るウィスパー・カード”というコピーで、アイドルの歌でなくトークを収めたシートレコードが男女問わず70年代初期のアイドル中心に数多くのウィスパー・カードが製作され、主に文具店で販売されていた。ブロマイドと言えば、マルベル堂が一手に販売しており好調な売れ行きを示していた。それに便乗してか、対抗してか、「声の出る」ブロマイドをコンセプトとして1970年初期から文化放送が企画制作、キュープロモーション及び万年筆のプラチナが製作販売するウィスパー・カード・シリーズを企画していた。しかし「ブロマイド」はマルベル堂の登録商標であるため「声の出るブロマイド」というコピーにすることができず、やむなく「声の出るウィスパー・カード」と相成った訳である。当時ブロマイドはレコード店、文具店、ブロマイド店で販売されており、最初はキュープロモーションが独自ルートで文具店に卸していたが、文具店の流通経路を有効活用するためにプラチナでの製作販売に切り替えた。70年代初期のアイドル中心ということで、麻丘めぐみ、天地真理、アグネスチャン、桜田淳子、山口百恵、森昌子、浅田美代子、西城秀樹、村野武範、大石五郎、伊丹幸雄、石橋正次等のラインナップがあり、珍しいところでは、当時の野球少年のアイドル長嶋茂雄のウィスパー・カードも発売されていた。
※フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、日本の男女混合歌謡アイドルグループ。主に1970年代に活動した。沖縄県出身の男性4人と女性1人の5人兄妹が踊りながら歌い、四男の晃は変声期前のハイトーンボイスでメインボーカルを担当し、彼らの歌唱力やルックスなどが人気を博してミリオンセラーとなった。1973年に世志凡太がプロデュースし、漫画家の水島新司がレコードジャケットのイラストを手掛けた「個人授業」を発売すると、ミリオンセラーとなり一気に知名度が上がる。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった。テレビ・映画にも多く出演した。楽曲のテーマは学校における恋愛で一貫していた。
【1203】ウィスパーカード 天地真理 その1
題名:声の出るウィスパー・カード「天地真理 その1 真理とメロン」
企画制作:文化放送、JCM
番号:Q-10
製造:キュープロモーション
備考:当時200円
※以下Can Wikiより 憧れのアイドルがあなただけの耳に囁きかける!“声の出るウィスパー・カード”というコピーで、アイドルの歌でなくトークを収めたシートレコードが男女問わず70年代初期のアイドル中心に数多くのウィスパー・カードが製作され、主に文具店で販売されていた。ブロマイドと言えば、マルベル堂が一手に販売しており好調な売れ行きを示していた。それに便乗してか、対抗してか、「声の出る」ブロマイドをコンセプトとして1970年初期から文化放送が企画制作、キュープロモーション及び万年筆のプラチナが製作販売するウィスパー・カード・シリーズを企画していた。しかし「ブロマイド」はマルベル堂の登録商標であるため「声の出るブロマイド」というコピーにすることができず、やむなく「声の出るウィスパー・カード」と相成った訳である。当時ブロマイドはレコード店、文具店、ブロマイド店で販売されており、最初はキュープロモーションが独自ルートで文具店に卸していたが、文具店の流通経路を有効活用するためにプラチナでの製作販売に切り替えた。70年代初期のアイドル中心ということで、麻丘めぐみ、天地真理、アグネスチャン、桜田淳子、山口百恵、森昌子、浅田美代子、西城秀樹、村野武範、大石五郎、伊丹幸雄、石橋正次等のラインナップがあり、珍しいところでは、当時の野球少年のアイドル長嶋茂雄のウィスパー・カードも発売されていた。
※天地 真理(あまち まり、1951年〈昭和26年〉11月5日 - )は、日本の女性歌手。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。 1970年代前半に天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなり、一世を風靡した。アイドル歌手として「水色の恋」でデビューし以後、1974年までの間「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」「恋人たちの港」「恋と海とTシャツと」「想い出のセレナーデ」からなる一連の大ヒット曲を発表する。
【1202】ウィスパーカード 野口五郎 その5
題名:ウィスパーカード「野口五郎 その5 ゴローのファッション」
番号:Q3-110
企画制作:文化放送 JCM
製造:キュープロモーション
備考:当時200円
※以下Can Wikiより 憧れのアイドルがあなただけの耳に囁きかける!“声の出るウィスパー・カード”というコピーで、アイドルの歌でなくトークを収めたシートレコードが男女問わず70年代初期のアイドル中心に数多くのウィスパー・カードが製作され、主に文具店で販売されていた。ブロマイドと言えば、マルベル堂が一手に販売しており好調な売れ行きを示していた。それに便乗してか、対抗してか、「声の出る」ブロマイドをコンセプトとして1970年初期から文化放送が企画制作、キュープロモーション及び万年筆のプラチナが製作販売するウィスパー・カード・シリーズを企画していた。しかし「ブロマイド」はマルベル堂の登録商標であるため「声の出るブロマイド」というコピーにすることができず、やむなく「声の出るウィスパー・カード」と相成った訳である。当時ブロマイドはレコード店、文具店、ブロマイド店で販売されており、最初はキュープロモーションが独自ルートで文具店に卸していたが、文具店の流通経路を有効活用するためにプラチナでの製作販売に切り替えた。70年代初期のアイドル中心ということで、麻丘めぐみ、天地真理、アグネスチャン、桜田淳子、山口百恵、森昌子、浅田美代子、西城秀樹、村野武範、大石五郎、伊丹幸雄、石橋正次等のラインナップがあり、珍しいところでは、当時の野球少年のアイドル長嶋茂雄のウィスパー・カードも発売されていた。
※野口 五郎(のぐち ごろう、1956年2月23日 - )は、日本の歌手、俳優、ギタリスト、ベーシストである。本名、佐藤 靖(さとう やすし)。岐阜県美濃市出身。オフィス・ジー所属。新御三家の一人として、1970年代の日本を代表する男性アイドルである。血液型はA型。妻はタレントの三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家の佐藤寛。芸名は飛騨山脈の野口五郎岳に由来。「オレンジの雨」「甘い生活」「私鉄沿線」等ヒット曲多数。「カックラキン大放送」では研ナオコと共に、コメディアンとしての才能を開花させた。プロのギタリストとして中学時代から活動しており、ベースは偽名を使いスタジオ・ミュージシャンとして数多くのレコーディングに参加している。
【1201】日本民謡の旅 東海道偏④「桑名の殿さん/伊勢音頭」
題名:ビクターミュージックブック 世界の歌シリーズ
日本民謡の旅 東海道偏④
収録:1.桑名の殿さん(喜久丸ほか)
2.伊勢音頭(きみ 栄ほか)
製作:日本ビクター株式会社
発売:東京エンゼル社
定価:320円
備考:シート1枚1枚が四角く美しいピクチャーレコードになっている
※桑名の殿様(くわなのとのさま)は現在の三重県桑名市に伝えられる民謡でお座敷唄。「桑名の殿さん」とも言われる。神宮式年遷宮の御木曳木遣の一種である「松前木遣」がお座敷唄化したものと考えられている。
※伊勢音頭(いせおんど)とは、江戸時代の伊勢国で唄われ全国に広まった民謡のこと。ただし古くは、伊勢古市の遊廓で遊女が唄い踊るために使う音曲のことも称した。江戸時代の伊勢に起った「伊勢音頭」と呼ばれるものは2種類ある。それは伊勢参りにおける名所のひとつ、伊勢古市の遊郭で遊女に唄わせた音曲と、もうひとつは現在「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という歌詞で知られ唄われる民謡のことである。
※株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(ジェーブイシーケンウッド・ビクターエンタテインメント、英語: JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.)は、音楽ソフト発売・販売業務を行う日本企業であり、JVCケンウッドの完全子会社である。日本ビクターが1927年より展開していたレコード盤(メディア)製造部門を除くレコード音源制作・販売事業、および出版事業(ビクター出版株式会社)を含め、1972年4月25日に分社化しビクター音楽産業株式会社として設立。
※東京エンゼル社は千代田区三崎町に存在した出版社で、数多くの企画物のソノシートブックを販売していた。1961年12月11日に日本ビクターの傘下に入り「ビクター出版」に改組している。