SEAT RECORDS の魅力
SEAT RECORDS とは日本流に言うなら「ソノシート」です。型に樹脂を流し込んで作る通常のレコードと異なり、柔らかいビニール素材に音溝の付いた金型を押し付けて作るため、安価に制作できるうえ軽く曲がりにも強いことから、雑誌の付録やメッセージカード等に利用されました。なお、「ソノシート」は後に朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)の商標となったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合もあります。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたりしましたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっています。
昭和30年代〜50年代まで「ソノシート」には夢が詰まっていました。RICMANIA.COMではソノシートを1種の「文化遺産」として捉え、ジャンルや用途を区切らずに収集しデジタル動画(音源)として残すことで、時代の生き証人として後世まで語り継ごうと考えています。もし、ソノシートの廃棄を検討されている方がいらっしゃいましたら、どんなジャンル・状態のものでも当方で引き取り、整理・再生・収録して可能なものは公開しますので是非お譲りください。
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今日のソノシート
【851】朝日ソノラマ 2月号(1960年1月)②ソノ・レクチュア(森繁久彌)
題名:朝日ソノラマ 2月号(1960年1月)
②ソノ・レクチュア「成人の日のために(森繁久彌)」
収録:成人の日のために 語り手・森繁久彌
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年〈大正2年〉5月4日 - 2009年〈平成21年〉11月10日)は、日本の俳優・声優・歌手・コメディアン(喜劇俳優)、元NHKアナウンサー。昭和の芸能界を代表する国民的俳優の一人であり、映画・テレビ・舞台・ラジオ・歌唱・エッセイなど幅広い分野で活躍した。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【850】朝日ソノラマ 2月号(1960年1月)①ソノ・マンスリー(1960年の展望)
題名:朝日ソノラマ 2月号(1960年1月)
①ソノ・マンスリー(1960年の展望)
収録:1960年の展望 語り手・鰐淵朗子
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※鰐淵朗子(わにぶちあきこ)は日本の女優。ヴァイオリニストで女優の鰐口晴子は実姉。母親はドイツ系貴族ハプルブルグ家の末裔のチター奏者ベルタ、父はヴァイオリニストの鰐口賢舟。美人姉妹として子役やモデルで活躍。オマタドロップのイメージモデル。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【849】朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)⑥ソノ・ギフト(お正月のうた)
題名:朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)
⑥ソノ・ギフト(お正月のうた)
収録:ロベール・ギランによるフランス語の日本語解説含む
数え歌、ずいずいずっころばし、通りゃんせ、越天楽
演奏:ピアノ(和田肇)、琴(山内喜美子)、リズム(ロスエルマノス)
編曲:飯島一夫
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※ロベール・ギラン(Robert Guillain 1908年9月4日 - 1998年12月29日)は、フランスのジャーナリストで、アジア、特に日本通として知られる。
※和田肇(明治41年3月27日〜昭和62年11月2日)は日本のジャズピアニスト。映画館楽士を経て、ハタノ・オーケストラ、井田一郎バンドなどでジャズ・ピアニストとして活躍。華麗なテクニックで日本歌曲をジャズ風に演奏した。また、淡谷のり子の伴奏を務めた縁で結婚したが、のち離婚。
※山内喜美子は琴演奏の第一人者。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【848】朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)⑤旅へのいざない(裕ちゃんとパリへ)
題名:朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)
⑤旅へのいざない(裕ちゃんとパリへ)
収録:パリへ、あなたにささやく裕次郎
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円 備考:本の盛上がり部分にレコードが位置するため一部音飛びします。
※石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)は、昭和時代を代表する俳優、歌手 、声優であり、司会者やモデルといったマルチタレント。実業家・ヨットマンとしても活動していた。身長178cm。血液型はA型。愛称はタフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージロー。石原プロモーション元代表取締役社長(初代)兼会長。兄は政治家で小説家の石原慎太郎。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【847】朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)④クリスマス・ムード(地に平和・人には善意)
題名:朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)
④クリスマス・ムード(地に平和・人には善意)
収録:野口源次郎編曲・指揮によるABC合唱団ほかの演奏
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※野口源次郎は日本の作曲家・音楽家。「てなもんや三度笠」の音楽監修で著名。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【846】朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)③スクリーン・ハイライト(歌うトニー・ザイラー)
題名:朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)
③スクリーン・ハイライト(歌うトニー・ザイラー)
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※アントン(トニー)・ザイラー(Anton("Toni") Sailer, 1935年11月17日- 2009年8月24日)は、オーストリア・チロル州キッツビュール出身のスキー選手・俳優。
※「白銀は招くよ!」 (1959年)はトニー・ザイラー主演映画。日本で大ヒットし、日本語の歌詞も作られ、日本の歌手達にも歌われた。また、「みんなのうた」(NHK)でも紹介されたり、「第22回NHK紅白歌合戦」では当時1972年札幌オリンピックを翌年に控え、有名なウィンターソングとしてダークダックスの出場曲にもなった。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【845】朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)②ソノルポルタージュ(人・声・世相)
題名:朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)
②ソノルポルタージュ(人・声・世相)
収録:ご皇族結婚ラッシュ、カミナリ族など
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【844】朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)①ソノクルニクル(音で残す1959年)
題名:朝日ソノラマ 1月号(1952年12月 創刊号)
①ソノクルニクル(音で残す1959年)
収録:皇太子ご成婚、松川判決、伊勢湾台風、南海ホークス優勝、ソビエト月裏側撮影
発行:朝日ソノプレス社(朝日ソノラマ)
定価:360円
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【843】ビクター歌うスターカラーカード集「三田明/吉永小百合/森進一」
題名:ビクター歌うスターカラーカード集「三田明/吉永小百合/森進
収録:「恋人ジュリー」三田明
「勇気あるもの」吉永小百合・トニーズ
「東京みれん」森進一
番号:FY-5618
発行:日本ビクター株式会社
※株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(ジェーブイシーケンウッド・ビクターエンタテインメント、英語: JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.)は、音楽ソフト発売・販売業務を行う日本企業であり、JVCケンウッドの完全子会社である。日本ビクターが1927年より展開していたレコード盤(メディア)製造部門を除くレコード音源制作・販売事業、および出版事業(ビクター出版株式会社)を含め、1972年4月25日に分社化しビクター音楽産業株式会社として設立。
※三田 明(みた あきら、1947年6月14日 - )は、日本の演歌歌手、俳優。東京都出身。本名・辻川 潮(つじかわ うしお)。太陽企画所属。1962年、日本テレビ系のオーディション番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』で作曲家・吉田正に認められ、芸能界入り。翌1963年に『美しい十代』で日本ビクターから歌手デビューするとともに、さらに翌1964年には同名の映画で映画初主演。清純な風貌と美声で1960年代を中心にヒットを飛ばした。また、『長七郎江戸日記』など時代劇を中心に俳優としても活動している。
※「恋人ジュリー」は1966年(昭和41年)発売。作詞・作曲:吉田正
※当時の吉永小百合さんは、1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞(17歳での受賞は2012年時点で史上最年少記録)。ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」受賞。1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。で名実ともにトップアイドル。
※トニーズ(Tonys)は、1960年代後半に活動した日本の音楽グループ。1964年、松竹大船撮影所において三上真一郎と新人俳優の荒木健太(新城健史・トニー荒木)、栗原喜明、秋元栄次郎、杉本哲章をメンバーとしたバンド「ザ・ダイアモンズ」として結成。後に三上を抜いた4人はトニーズと改名。1966年、ビクターレコードより「吉永小百合とトニーズ」として『勇気あるもの』をリリース。
※「勇気あるもの」は1966年(昭和41年)発売。作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正
※森 進一(もり しんいち、1947年〈昭和22年〉11月18日 - )は、日本の歌手、作曲家、社会福祉活動家。1965年(昭和40年)、素人参加歌番組『リズム歌合戦』に出場して優勝。ナベプロに所属。名付け親はハナ肇。元は普通の声であり、ルックスも良くポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りしたが、売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと判断。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されたが立て続けにヒットを重ね、デビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
※「東京みれん」は1966年(昭和41年)発売。作詞:吉川静夫、作曲:猪俣公章
【842】マルゴ印 田辺製薬「弘田三枝子ヒットソング」
題名:マルゴ印 田辺製薬「弘田三枝子ヒットソング」
収録:寝不足なの 作詞:永六輔 作曲:中村八大
アスパラで生きぬこう 作詞・作曲:三木鶏郎
制作:東芝レコード
発行:田辺製薬
番号:ER-1090
※『アスパラ』(Aspara)は、田辺三菱製薬株式会社(旧:田辺製薬株式会社)から発売されている目薬とビタミン剤及び栄養ドリンク剤の製品名である。ビタミンとアスパラギン酸配合製剤として現在販売されてる商品である。
※弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子、1947年2月5日 - 2020年7月21日)は、日本のポップス、歌謡歌手。愛称はMICO(ミコ)。歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。1969年10月20日には「人形の家」でオリコン・チャート首位となり、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。2020年7月20日、千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されるも、翌21日午後10時31分、心不全のため73歳で死去。
※「アスパラで生きぬこう」。オリジナルは「弘田三枝子/ひろた・みえこ」によるソノシート録音。1962年4月頃の「アスパラで生きぬこう」の広告は、1962年秋頃には「アスパラでやり抜こう」の宣伝に変更されますが、当時の田辺製薬(通称マルゴ印)によるCMソング。
※「寝不足なの/ネブソク・ナノ」は1962年「弘田三枝子/ひろた・みえこ」のデヴュー曲。当初はソノシートによるトラック1録音でしたが、CMソング「アスパラで生きぬこう」の成功により、公式LP「弘田三枝子ヒットアルバム」に収録、別途シングルもリリースされています。