SEAT RECORDS

コレクションしているシートレコード(通称ソノシート)の音源と調査内容をアップしていきます

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今日のソノシート

【843】ビクター歌うスターカラーカード集「三田明/吉永小百合/森進一」

題名:ビクター歌うスターカラーカード集「三田明/吉永小百合/森進

収録:「恋人ジュリー」三田明

   「勇気あるもの」吉永小百合・トニーズ

   「東京みれん」森進一

番号:FY-5618

発行:日本ビクター株式会社

 

※株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント(ジェーブイシーケンウッド・ビクターエンタテインメント、英語: JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.)は、音楽ソフト発売・販売業務を行う日本企業であり、JVCケンウッドの完全子会社である。日本ビクターが1927年より展開していたレコード盤(メディア)製造部門を除くレコード音源制作・販売事業、および出版事業(ビクター出版株式会社)を含め、1972年4月25日に分社化しビクター音楽産業株式会社として設立。

 

※三田 明(みた あきら、1947年6月14日 - )は、日本の演歌歌手、俳優。東京都出身。本名・辻川 潮(つじかわ うしお)。太陽企画所属。1962年、日本テレビ系のオーディション番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』で作曲家・吉田正に認められ、芸能界入り。翌1963年に『美しい十代』で日本ビクターから歌手デビューするとともに、さらに翌1964年には同名の映画で映画初主演。清純な風貌と美声で1960年代を中心にヒットを飛ばした。また、『長七郎江戸日記』など時代劇を中心に俳優としても活動している。

 

※「恋人ジュリー」は1966年(昭和41年)発売。作詞・作曲:吉田正

 

※当時の吉永小百合さんは、1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞(17歳での受賞は2012年時点で史上最年少記録)。ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」受賞。1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。で名実ともにトップアイドル。

 

※トニーズ(Tonys)は、1960年代後半に活動した日本の音楽グループ。1964年、松竹大船撮影所において三上真一郎と新人俳優の荒木健太(新城健史・トニー荒木)、栗原喜明、秋元栄次郎、杉本哲章をメンバーとしたバンド「ザ・ダイアモンズ」として結成。後に三上を抜いた4人はトニーズと改名。1966年、ビクターレコードより「吉永小百合とトニーズ」として『勇気あるもの』をリリース。

 

※「勇気あるもの」は1966年(昭和41年)発売。作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正

 

※森 進一(もり しんいち、1947年〈昭和22年〉11月18日 - )は、日本の歌手、作曲家、社会福祉活動家。1965年(昭和40年)、素人参加歌番組『リズム歌合戦』に出場して優勝。ナベプロに所属。名付け親はハナ肇。元は普通の声であり、ルックスも良くポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りしたが、売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと判断。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されたが立て続けにヒットを重ね、デビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

 

※「東京みれん」は1966年(昭和41年)発売。作詞:吉川静夫、作曲:猪俣公章  

 


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