SEAT RECORDS

コレクションしているシートレコード(通称ソノシート)の音源と調査内容をアップしていきます

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今日のソノシート

【1007】ジャッキー吉川とブルー・コメッツ④「星に祈りを/シャウト・アンド・ブルース・ビート」

題名:コロ・シート ジャッキー吉川とブルー・コメッツ④ 

収録:1.星に祈りを(作詞・作曲:佐々木勉) 

   2.シャウト・アンド・ブルース・ビート(作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫) 

番号:CSA-5002 

制作:日本コロムビア株式会社 

発行:コロムビア音楽芸能株式会社 

 

※ジャッキー吉川とブルー・コメッツは、日本のバンドで1960年代に一世を風靡したグループ・サウンズの1つ。グループ名の由来は「どの星よりも光り輝く彗星のように」。デビューから米軍キャンプ周りで実力を評価されるもメンバーの脱退・加入を繰り返し、1963年にジャッキー吉川(ドラム)がリーダーになり井上忠夫(サックス、フルート)が加入、1964年に三原綱木(ギター)が加入、脱退した小田啓義(オルガン)と高橋健二(ベース)が復帰し、歌手のバックバンドからグループサウンズ全盛時代を築くバンドとなる。1966年の「青い瞳(ブルーアイズ)」が英語版・日本語盤ともにヒットし、1967年の「ブルー・シャトウ」は150万枚の大ヒットとなり、1968年にはアメリカのエド・サリヴァン・ショーに出演するなど名実ともに日本一のグループとなった。その後もメンバーチェンジを繰り返し(死去含む)つつ継続、現在も懐メロ番組などで演奏することがある。 

 

※橋本 淳(はしもと じゅん、1939年7月8日 - )は、日本の作詞家である。本名は与田凖介(よだ じゅんすけ)で、詩人・児童文学者の与田凖一(1905年 - 1997年)は実父。すぎやまこういちに師事し、弟子に中村容子がいる。作曲家の筒美京平とのコンビでヒット曲を多数手がける。 代表作はいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」のほか、ブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」など。 

 

※佐々木 勉(ささき べん、1938年12月26日[1] - 1985年3月11日[1])は、日本の作詞家、作曲家、歌手。 成城学園高校在学中にラジオ番組「素人ジャズのど自慢」で日本一となり、成城大学入学後「小坂一也とワゴン・マスターズ」に参加。卒業後は証券会社や広告代理店に勤務する傍ら作曲活動を行う。1964年、清原タケシの「夜空の星(後に「星に祈りを」と改題)」の作詞・作曲で作家デビュー。その後、「いつまでもいつまでも」(ザ・サベージ)や「星に祈りを」(ザ・ブロード・サイド・フォー)「夏のお嬢さん」(榊原郁恵)などのアイドル系歌謡曲、「別れても好きな人」「3年目の浮気」などのムード歌謡、或いは「魔法のプリンセス ミンキーモモ」主題歌などのアニメソングまで幅広いジャンルの楽曲を手掛けた。 

 

※井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(いのうえ ただお)、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。1963年、ジャズ喫茶で演奏中スカウトされジャッキー吉川とブルー・コメッツに参加、リード・ヴォーカル、フルート、サックスを担当。作曲も行い、「青い瞳」「ブルー・シャトウ」などの曲を書いてヒットさせた。1972年のメンバーチェンジ(実質的な解散)後、作曲家に転身。「学園天国」「ランナウェイ」「I FEEL COKE」ガンダム劇場版の「哀・戦士」「めぐりあい」など、数多くのヒット曲を放った。

 


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