今日のソノシート
【1160】NHK大相撲録音「北の湖10回目の優勝/吉葉山思い出を語る」
題名:NHK大相撲録音 昭和53年初場所実況
収録:A:北の湖10回目の優勝(北の湖‐若三杉、北の湖‐旭国、北の湖‐輪島)、優勝インタビュー
B:思い出を語る「入門のいきさつ」43代横綱 吉葉山潤之輔
制作:NHKサービスセンター
※大相撲中継は、1928年1月12日からNHKのラジオ放送により始まった。このとき放送時間内に勝負を納めるため幕内10分、十両7分の制限時間設定とともに土俵に仕切り線を設けた。ラジオ放送が始まる直前は相撲人気が低迷していたこともあって「ただで聞ける(見られる)ようになれば国技館の客が減る」という反対論もあったというが、杞憂に終わった。テレビ放送は同じくNHKより1953年5月16日に始まった。
※北の湖 敏満 (きたのうみ としみつ、1953年(昭和28年)5月16日 - 2015年(平成27年)11月20日)は、北海道有珠郡壮瞥町出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。第55代横綱。本名は小畑 敏満(おばた としみつ)。血液型はAB型。1972年1月新入幕 (18歳7ヶ月) を果たし、1974年1月場所では14勝1敗で初優勝を果たして大関に昇進、同年7月場所後に横綱昇進。21歳2ヶ月での横綱昇進は、それまで大鵬が持っていた最年少記録(21歳3か月)を更新。「憎らしいほど強い横綱」と言われた。
※吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ、1920年4月3日 - 1977年11月26日)は、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)出身で高島部屋に所属した大相撲力士。第43代横綱。本名は池田 潤之輔。上京した際に体格から人違いされ高島部屋に入門、四股名を北糖山としたが、その後盲腸を手術の執刀医吉葉に恩を込め吉葉山に改名。徴兵され4年土俵を離れた際に傷を負い、復帰後成績は良いものの優勝が少なく昇進が遅く、1954年1月場所で幕内最高優勝を果たしてようやく横綱になった。が、その後徴兵時の怪我や内臓疾患・糖尿病で休場が多く、1958年に引退。悲運の横綱と呼ばれる。