SEAT RECORDS の魅力
SEAT RECORDS とは日本流に言うなら「ソノシート」です。型に樹脂を流し込んで作る通常のレコードと異なり、柔らかいビニール素材に音溝の付いた金型を押し付けて作るため、安価に制作できるうえ軽く曲がりにも強いことから、雑誌の付録やメッセージカード等に利用されました。なお、「ソノシート」は後に朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)の商標となったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合もあります。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたりしましたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっています。
昭和30年代〜50年代まで「ソノシート」には夢が詰まっていました。RICMANIA.COMではソノシートを1種の「文化遺産」として捉え、ジャンルや用途を区切らずに収集しデジタル動画(音源)として残すことで、時代の生き証人として後世まで語り継ごうと考えています。もし、ソノシートの廃棄を検討されている方がいらっしゃいましたら、どんなジャンル・状態のものでも当方で引き取り、整理・再生・収録して可能なものは公開しますので是非お譲りください。
X(旧Twitter)でも紹介を始めました。内容はこのサイトからの転用です。→https://twitter.com/i/communities/1721775739387973881
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今日のソノシート
【1182】三亀松 独演集「都々逸教室②」
名:柳屋三亀松 独演 収録:都々逸教室②
制作:朝日ソノラマ
発行:明治製薬株式会社
備考:非売品、販促品
※初代柳家 三亀松(やなぎや みきまつ、1901年9月1日 - 1968年1月20日)は都々逸、三味線漫談家、粋談。本名∶伊藤 亀太郎。出囃子は『佃』。東京演芸協会会長。1925年に初代柳家三語楼の門下となり、晴れて柳家三亀松と名乗る。柳家金語楼と並ぶ、東京吉本の大看板でもあり、戦前の吉本では、金語楼と共にトップクラスの高給取りであった。
※明治製薬株式会社(めいじせいやく)は、富山県滑川市に所在する製薬会社である。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【1181】三亀松 独演集「都々逸教室①」
題名:柳屋三亀松 独演集
収録:都々逸教室①
制作:朝日ソノラマ
発行:明治製薬株式会社
備考:非売品、販促品
※初代柳家 三亀松(やなぎや みきまつ、1901年9月1日 - 1968年1月20日)は都々逸、三味線漫談家、粋談。本名∶伊藤 亀太郎。出囃子は『佃』。東京演芸協会会長。1925年に初代柳家三語楼の門下となり、晴れて柳家三亀松と名乗る。柳家金語楼と並ぶ、東京吉本の大看板でもあり、戦前の吉本では、金語楼と共にトップクラスの高給取りであった。
※明治製薬株式会社(めいじせいやく)は、富山県滑川市に所在する製薬会社である。
※株式会社朝日ソノラマ(あさひソノラマ)は、かつて存在した日本の出版社である。「ソノラマ」とはラテン語で「音」をあらわすsonusとギリシャ語で「見もの」の意味のhoramaを合わせた造語である。かつて発売していた「ソノシート」の商標権を取得していた。
【1180】松山恵子ヒット曲集②「お別れ公衆電話/東京なんて何さ」
題名:東芝フォノブック 松山恵子ヒット曲集②
収録:1.お別れ公衆電話(作詞:藤間哲郎、作曲:袴田宗孝)
2.東京なんて何さ(作詞:松井由利夫、作曲:塩谷純一)
番号:C-064
販売:東芝音楽工業株式会社
定価:250円
※松山 恵子(まつやま けいこ、1937年4月10日 - 2006年5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。1955年、「宵町ワルツ」「マドロス娘」でデビュー。1956年に「十九の浮草」が大ヒットし、一気にスターダムにのし上がった。「未練の波止場」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「泣いたって駄目さ」「東京なんて何さ」「思い出なんて消えっちゃえ」「アンコ悲しや」「別れの入場券」「逢わなきゃよかったんだわ」「酒場小唄」など数多くのヒット曲を飛ばし、『NHK紅白歌合戦』にも1957年から通算8回出場した。
※藤間 哲郎(ふじま てつろう、1924年12月31日 - 2011年5月19日)は、昭和期の作詞家。 1949年からキングレコード専属作詞家になる。1958年、東芝レコードに移籍。東芝レコード時代には、松山恵子の歌声で大ヒットした「お別れ公衆電話」を作詞。その後に古巣のキングレコードに戻り「東京の灯よいつまでも」などを作詞した。
※袴田宗孝は日本の作曲家。全日本音楽著作家協会の第7代会長を努めた経歴があるが、その他詳細不明。
※松井 由利夫(まつい ゆりお、本名:松井義雄 - まつい よしお、 1925年3月18日 - 2009年2月19日)は、日本の作詞家。自ら発掘した氷川きよしのデビュー曲「箱根八里の半次郎」がヒットし、その後も氷川の作品を手掛け氷川きよしの恩師として知られる。
※塩谷純一は日本の作曲家。78曲ほど春日八郎や三橋美智也、松山恵子などのメジャーミュージシャンに曲を提供。
※「ソノシート」は1958年に開発された薄いレコードで、後に朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)の商標となったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合がある。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっている。 東芝はフォノブックと呼んでいたようだ。
【1179】松山恵子ヒット曲集①「アンコ悲しや/十九の浮草」
題名:東芝フォノブック 松山恵子ヒット曲集①
収録:1.アンコ悲しや(作詞:藤間哲郎、作曲:増田幸造)
2.十九の浮草(作詞:牧喜代司、作曲:袴田宗孝)
番号:C-063
販売:東芝音楽工業株式会社
定価:250円
※松山 恵子(まつやま けいこ、1937年4月10日 - 2006年5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。1955年、「宵町ワルツ」「マドロス娘」でデビュー。1956年に「十九の浮草」が大ヒットし、一気にスターダムにのし上がった。「未練の波止場」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「泣いたって駄目さ」「東京なんて何さ」「思い出なんて消えっちゃえ」「アンコ悲しや」「別れの入場券」「逢わなきゃよかったんだわ」「酒場小唄」など数多くのヒット曲を飛ばし、『NHK紅白歌合戦』にも1957年から通算8回出場した。
※藤間 哲郎(ふじま てつろう、1924年12月31日 - 2011年5月19日)は、昭和期の作詞家。 1949年からキングレコード専属作詞家になる。1958年、東芝レコードに移籍。東芝レコード時代には、松山恵子の歌声で大ヒットした「お別れ公衆電話」を作詞。その後に古巣のキングレコードに戻り「東京の灯よいつまでも」などを作詞した。
※増田幸造は日本の作曲家。この曲の他に小野まち子の「酒ざんまい」の作曲があるがその他詳細不明。
※牧喜代司はこの曲以外の記録見つからず。詳細不明。
※袴田宗孝は日本の作曲家。全日本音楽著作家協会の第7代会長を努めた経歴があるが、その他詳細不明。
※「ソノシート」は1958年に開発された薄いレコードで、後に朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)の商標となったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合がある。そのため、普及期には発売するメーカーによって商品名が異なっていたが、現在ではソノシートという呼び名が一般的になっている。 東芝はフォノブックと呼んでいたようだ。
【1178】森 進一 試供盤「新潟ブルース/柳ヶ瀬ブルース」
題名:森 進一 試供盤
収録:1.新潟ブルース(作詞:山岸一二三、作曲:山岸英樹)
2.柳ヶ瀬ブルース(作詞・作曲:宇佐英雄)
番号:NRS-5
製作:日本レコードシート販売株式会社
※森 進一(もり しんいち、1947年〈昭和22年〉11月18日 - )は、日本の歌手、作曲家、社会福祉活動家。1965年(昭和40年)、素人参加歌番組『リズム歌合戦』に出場して優勝。ナベプロに所属。名付け親はハナ肇。元は普通の声であり、ルックスも良くポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りしたが、売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと判断。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されたが立て続けにヒットを重ね、デビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
※「新潟ブルース」(にいがたブルース)は、1967年8月10日に発売された美川憲一の7枚目のシングル。 作詞の山岸一二三と作曲の山岸英樹は地元・新潟出身の兄弟。黒沢明とロス・プリモスとの競作となった。
※「柳ヶ瀬ブルース」(やながせブルース)は、1966年4月1日に発売された美川憲一の3枚目のシングルである。作詞作曲者の宇佐英雄が岐阜市の歓楽街「柳ヶ瀬」で流しで歌い、彼が自費製作したフィルム・レコードを入手した日本クラウンのディレクター長田幸治が「(美川に)青春歌謡路線は向いていない」と判断し、路線を転換させるために3枚目のシングル盤として歌わせたもの。
【1177】森 進一 試供盤「思案橋ブルース/京都の夜」
題名:森 進一 試供盤
収録:1.思案橋ブルース(作詞:滝村雄二、作曲:松本敏美)
2.京都の夜(作詞:和田圭、作曲:中島安敏)
番号:NRS-5
製作:日本レコードシート販売株式会社
※森 進一(もり しんいち、1947年〈昭和22年〉11月18日 - )は、日本の歌手、作曲家、社会福祉活動家。1965年(昭和40年)、素人参加歌番組『リズム歌合戦』に出場して優勝。ナベプロに所属。名付け親はハナ肇。元は普通の声であり、ルックスも良くポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りしたが、売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと判断。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されたが立て続けにヒットを重ね、デビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
※思案橋ブルースは、長崎で活躍していた「松本敏美とハニー・トーンズ」のボーカル、滝村雄二(たきむらゆうじ)が、そのイメージに近いとして、リーダーの松本敏美(まつもととしみ)に作曲を頼み、完成させた。
※京都の夜は、愛田健二の大ヒット曲。愛田健二は本名浅田久一 京都市出身 昭和22年2月21日生 日本大学芸術学部 演劇学科中退 。
【1176】舟木一夫時代歌謡特集「竹千代音頭/竹千代の唄」
題名:コロシート 舟木一夫時代歌謡特集
収録:1.竹千代音頭(作詞:中林きみを、作曲:津田二郎)
2.竹千代の唄(作詞:中林きみを、作曲:津田二郎)
番号:FA-8B
製作:日本コロムビア
※舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸、1944年〈昭和19年〉12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマーク。青春ソングの定番「高校三年生」に代表される学生時代を題材にした歌謡曲のほか、「銭形平次」のテーマソングなど時代モノも数多く歌っている。高校時代に歌の巧さでホリプロにスカウトされただけあり、アイドルの域を超えた本格的歌手である。
※中林きみを氏、津田二郎氏はこの曲のほかは愛知県岡崎市立矢作南小学校校歌や豊田音頭などを作詞作曲していることから、徳川家康の駿府城地域の方のようだ。
※日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、英: NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)は、日本のレコード会社である。1910年(明治43年)10月1日、神奈川県橘樹郡川崎町(現在の川崎市川崎区)で日本蓄音機商会として設立された老舗レコード会社。
※コロシートはコロムビア製のソノシート。ソノシートが朝日ソノラマの登録商標であったため、コロムビアはコロシートとして販売していた。
【1175】舟木一夫時代歌謡特集「右衛門七討入り/右衛門七節」
題名:コロシート 舟木一夫時代歌謡特集
収録:1.右衛門七討入り(作詞:西沢爽、作曲:遠藤実)
2.右衛門七節(作詞:西沢爽、作曲:遠藤実)
番号:FA-8A
製作:日本コロムビア
※舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸、1944年〈昭和19年〉12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマーク。青春ソングの定番「高校三年生」に代表される学生時代を題材にした歌謡曲のほか、「銭形平次」のテーマソングなど時代モノも数多く歌っている。高校時代に歌の巧さでホリプロにスカウトされただけあり、アイドルの域を超えた本格的歌手である。
※西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。日本コロムビアの専属となり、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。
※遠藤 実(えんどう みのる、1932年(昭和7年)7月6日 - 2008年(平成20年)12月6日)は、戦後歌謡界を代表する作曲家の一人である。作曲家として世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分は演歌)と言われ、舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。
【1174】舟木一夫時代歌謡特集「江戸ッ子だい/火消し若衆」
題名:コロシート 舟木一夫時代歌謡特集
収録:1.江戸ッ子だい(作詞:関沢新一、作曲:山路進一)
2.火消し若衆(作詞:安部幸子、作曲:遠藤実)
番号:FA-7B
製作:日本コロムビア
※舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸、1944年〈昭和19年〉12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマーク。青春ソングの定番「高校三年生」に代表される学生時代を題材にした歌謡曲のほか、「銭形平次」のテーマソングなど時代モノも数多く歌っている。高校時代に歌の巧さでホリプロにスカウトされただけあり、アイドルの域を超えた本格的歌手である。
※関沢 新一(1920年〈大正9年〉6月2日 - 1992年〈平成4年〉11月19日)は、日本の脚本家、作詞家、写真家。脚本家として東宝の娯楽映画を多数執筆。「モスラ」「キングコング対ゴジラ」「暗黒街の対決」「独立愚連隊西へ」など軽快なテンポと洒落た台詞回しを活かした作品を世に出した。作詞家としても、美空ひばりの「柔」、ミリオンセラーを記録した都はるみの「涙の連絡船」など、今なお歌い継がれているものも多い。
※安部幸子は日本の作詞家。作詞家になってわずか半年の20代半ばで亡くなり、舟木一夫には7曲ほど提供されたらしい。 ※山路 進一(やまじ しんいち)は日本の作曲家。2000年<平成12年>10月22日没。享年68歳。昭和40年代、主に舟木一夫のために遠藤実とともに名曲を多く作曲。舟木一夫氏によると、マスコミ露出が嫌いだったことであまり世に知られることがなかったとのこと。
※遠藤 実(えんどう みのる、1932年(昭和7年)7月6日 - 2008年(平成20年)12月6日)は、戦後歌謡界を代表する作曲家の一人である。作曲家として世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分は演歌)と言われ、舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。
※日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、英: NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)は、日本のレコード会社である。1910年(明治43年)10月1日、神奈川県橘樹郡川崎町(現在の川崎市川崎区)で日本蓄音機商会として設立された老舗レコード会社。
※コロシートはコロムビア製のソノシート。ソノシートが朝日ソノラマの登録商標であったため、コロムビアはコロシートとして販売していた。
【1173】舟木一夫時代歌謡特集「敦盛哀歌/銭形平次」
題名:コロシート 舟木一夫時代歌謡特集
収録:1.敦盛哀歌(作詞:村上元三、作曲:古賀政男)
2.銭形平次(作詞:関沢新一、作曲:安藤実親)TV主題歌
番号:FA-7A
製作:日本コロムビア
※舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸、1944年〈昭和19年〉12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマーク。青春ソングの定番「高校三年生」に代表される学生時代を題材にした歌謡曲のほか、「銭形平次」のテーマソングなど時代モノも数多く歌っている。高校時代に歌の巧さでホリプロにスカウトされただけあり、アイドルの域を超えた本格的歌手である。
※村上 元三 (むらかみ げんぞう、1910年3月14日 - 2006年4月3日) は、日本の小説家。 戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載。大衆文学復興の旗手となる。北方もの、人物評伝もの、伝奇もの、海洋冒険もの、芸道もの、股旅もの、お家騒動ものと、多彩な作品を執筆した。
※古賀 政男(こが まさお、1904年(明治37年)11月18日 - 1978年(昭和53年)7月25日)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。栄典は従四位、勲三等瑞宝章、紫綬褒章。昭和期を代表する国民的作曲家としての地位を確立し、数多くの流行歌をヒットさせた。生涯で制作した楽曲は5,000曲ともいわれ、「古賀メロディー」として親しまれている。
※関沢 新一(1920年〈大正9年〉6月2日 - 1992年〈平成4年〉11月19日)は、日本の脚本家、作詞家、写真家。脚本家として東宝の娯楽映画を多数執筆。「モスラ」「キングコング対ゴジラ」「暗黒街の対決」「独立愚連隊西へ」など軽快なテンポと洒落た台詞回しを活かした作品を世に出した。作詞家としても、美空ひばりの「柔」、ミリオンセラーを記録した都はるみの「涙の連絡船」など、今なお歌い継がれているものも多い。
※安藤 実親(あんどう さねちか、(本名:安藤 實親)1932年(昭和7年)2月4日 - 2022年(令和4年)5月6日)は、日本の作曲家。別名:富侑栄(ふゆう さかえ)。1961年(昭和36年)にコロムビアレコード専属作曲家となり、主に編曲を担当した。1964年(昭和39年)には村田英雄の「姿三四郎」で作曲家としてデビュー、以後、こまどり姉妹・舟木一夫・村田英雄・美空ひばり等の作曲を手掛けた。
※日本コロムビア株式会社(にっぽんコロムビア、英: NIPPON COLUMBIA CO., LTD.)は、日本のレコード会社である。1910年(明治43年)10月1日、神奈川県橘樹郡川崎町(現在の川崎市川崎区)で日本蓄音機商会として設立された老舗レコード会社。
※コロシートはコロムビア製のソノシート。ソノシートが朝日ソノラマの登録商標であったため、コロムビアはコロシートとして販売していた。